何度も見る映画には、昔の自分がいる
トップガン マーヴェリックを繰り返し見てしまう理由を考えていたら、父との記憶と、子どもの頃の憧れにたどり着いた。
同じ映画を何度も見てしまうことはありませんか。
ストーリーも知っている。
結末も知っている。
どの場面で胸が熱くなるかも、どの音楽が流れるかも、だいたいわかっている。
それでも、また見てしまう映画があります。
僕にとって、それが『トップガン マーヴェリック』です。
映画を見ているようで、記憶に会いに行っている
マーヴェリックを何度も見る理由は、たぶん映画の完成度だけではありません。
もちろん、戦闘機の映像も、音楽も、ストーリーも最高です。
でも、それだけなら何度も何度も見る理由としては、少し足りない気がします。
僕にとって『トップガン マーヴェリック』は、単なる新作映画ではありません。
その前編である『トップガン』を、自衛官だった父親と一緒に見た記憶につながっている映画です。
子どもの頃に見た戦闘機。
空へ飛び立つ機体。
パイロットという存在へのワクワク。
「かっこいい大人」への憧れ。
その頃の僕は、画面の向こうに、ただただ胸を躍らせていました。
まだ何者でもない子どもが、空を飛ぶ大人たちを見て、何か大きなものに憧れていたんだと思います。
オープニングテーマが流れた瞬間に戻る場所
何十年も経って、『トップガン マーヴェリック』を見た時。
オープニングテーマが流れた瞬間、ただ新しい映画を見ている感覚ではありませんでした。
あの音だけで、昔の記憶が一気に戻ってきました。
父親と一緒に見た時間。
子どもの頃のワクワク。
戦闘機に感じた憧れ。
かっこいい男とは何かを、まだ言葉にできなかった頃の感覚。
マーヴェリックを見ているようで、実はあの頃の自分にも会いに行っていたのかもしれません。
映画って不思議です。
同じ映像なのに、見る時の年齢や心の状態で、まったく違うものに見えることがあります。
若い頃は主人公の強さに憧れていたのに、歳を重ねると、その背中にある孤独や責任の方が胸に残ったりします。
昔はただかっこいいと思っていた場面が、今見ると少し切なく感じることもあります。
同じ日々の中で、変わっている自分に気づく
農業をしていると、毎日が同じ繰り返しのように感じることがあります。
畑に行く。
収穫する。
袋詰めする。
納品する。
また畑に戻る。
同じ場所で、同じような作業をしていると、日々が流れていくだけのように感じることもあります。
でも本当は、毎日は少しずつ違います。
昨日と今日では、風の匂いが違う。
土の乾き方が違う。
とうもろこしの伸び方も違う。
自分の疲れ方も、心に残っている言葉も違う。
昨日より少し伸びたとうもろこしの葉が、朝の風で音を立てている。
土を踏んだ感触が、昨日より少し軽い。
そんな小さな違いに気づくたびに、同じ日は本当に一日もないんだと思います。
ただ、その変化はとても小さいから、意識しないと見逃してしまうのかもしれません。
同じ映画を何度も見るのも、少し似ている気がします。
変わらない物語を見ているようで、本当は変わっていく自分を確かめている。
そして時々、変わってしまった自分の中に、まだ変わらず残っている子どもの頃のワクワクを確認している。
だから僕は、またマーヴェリックを見てしまうのかもしれません。
懐かしい映画が、今の自分を教えてくれる
繰り返しは、退屈なものとは限りません。
同じ映画を何度も見るからこそ、昔の自分と今の自分の距離に気づける。
同じ畑に毎日立つからこそ、季節の変化や、自分自身の変化にも気づける。
変わらないものの中にこそ、変わっていく自分が映るのかもしれません。
何度も見る映画には、たぶん昔の自分がいます。
そして同時に、今日の自分も映っているのだと思います。
もし最近、少し毎日が同じことの繰り返しに感じているなら、昔好きだった映画をもう一度見てみるのもいいかもしれません。
懐かしい音楽や、忘れていたセリフや、当時胸が高鳴った場面が、思いがけず昔の自分を連れてきてくれることがあります。
そしてその映画を見終わったあと、今の自分が何を感じるのか。
そこに、今日の自分だけが気づける小さな変化があるのかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。これからも、畑で感じたことや、野菜づくりを通して見えてきた生き方の話を書いていきます。
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